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近畿化学工業物語

HISTORY

これまで弊社が歩んできた道のりは平坦なものではありませんでした。
だからこそ皆様へお伝えし、私どもの想いを知っていただきたいのです。
近畿化学工業はこれからも進化を続ける会社です。

第一章

当社は昭和56年5月に設立されました。当時は、年間9万本の硝子繊維用ボビンを扱う業務から開始しました。
「このボビン作業は将来必ず伸びる」という社長の言葉を励みに、従業員全員が必死に働きました。そして社長の言葉どおり、その後ボビン作業の業績は急上昇を遂げることになったのです。

昭和56年9月には、ボビンの取扱本数が10万本を超えました。

そこで、それまでの作業場を、現在の事務所の横に移設させました。150坪の倉庫の半分に畳を敷き、決していい環境ではありませんでしたが、皆一生懸命に作業をし、業績を伸ばしておりました。

その中で他の従業員が帰宅してからも体の疲れも忘れるほどに、深夜まで作業に没頭する社員がいました。

現代表取締役社長の川下強志でした。「1本でも多く、生産性をあげなければ・・・」

彼を動かす原動力は、「1本でも多く」という意思でした。

第二章

昭和58年5月、事業の拡大が始まりました。

ソーラー生産業務に始まり、スリット加工業務、ガラスビーズ製造業務、収束剤調合業務など、次々に新規事業が始められ、その都度若手が担当者として選任され、一生懸命に活動していました。その後は順調に進み、たくさんの従業員にも恵まれました。

その従業員によって、社長を中心にひとつの大きな輪になりました。

当時より仲間を家族同然に思う社風があり、花見をしたり旅行をしたり、年の始めから終わりまで、喜びをともに分かち合う行事を積極的に開催してきました。この社風は今も続いており、「借金をしてでも従業員の喜びをなくしてはいけない」という信念のもと、継続しています。こんな愛情に溢れる会社が他にあるでしょうか。働くものにとって、魅力のある会社に成長したように思えます。

第三章

昭和63年12月、C倉庫(3階建て)が完成しました。

ボビン工場をA倉庫からC倉庫2階に移転させ、数千万を投資し、コンベヤ、集塵機、巻取機、自動パフ機を揃えました。これにより本格的なボビン処理体制を築き、処理数月間54万本に増産することができました。さらに、従業員は業務全体で95人になりました。

1階はボビン関係の倉庫として使用していました。しかし、3階は半年以上使用がない状況が続きました。だからこそ毎日ピカピカにモップを掛け、1番の取引先に宣伝しました。現在なら売り出し先はあちこちと声を掛けるのでしょうが、当時は何でもかんでもその取引先に頼り切っていたためです。結果、宣伝の努力が実り、当時の取引先の工場長から「使ってやる」と返事をいただくことができ、皆、小躍りで喜びました。

その後設備を投入し、ガラス関連(ロービング)の生産工場となったのです。

また、女性2名を人選配置しました。2人とも仕事人で気が強く、生産でライバル意識が芽生え、その相乗効果の結果、良品の生産向上に大きな評価をいただくことにつながりました。

第四章

次々と新たな仕事を頂きながら業務拡大し、多くの倉庫を次々と建設され、財産を築いて頂きました。これは、社長はじめ従業員1人1人の努力が連携し、お客様から評価を頂いたものであると思っています。

「新たな仕事が発生したら、まず1番に近畿さんに声を掛ける」と、有り難い言葉を頂き、頂いた仕事は責任を持って、安全にこなすことが大事なことであると認識しておりました。

昇龍のように来ましたが、平成15年、16年は赤字でした。特に大きな原因はボビン業務の縮小と倉庫契約解除の連続で収入が大きく落ち込んだのです。

取引先の在庫縮小と製品の構内保管が大きく響き、これによって、能登川地区で5,000坪以上の倉庫が空になってしまいました。取引先から物が出ないことにはどうにもならない状況で、「これは駄目だ」といち早くこれまでの取引先だけに頼る体制を改め、社外に目を向けた営業活動に変えました。他社はじっとその取引先からの依頼を待っていましたが、当社は3年続きの赤字は許されない状況であり必死でしたので、これまでにない改革が必要でした。

第五章

倉庫関連は1社だけの取引先を改めました。

そして現在を迎えるには社外の方々、友人であったり、知人であったり、出入りするお客さんであったり、多くの方から紹介を受けながら1社ずつお客様との出会いができたのです。2年続きの赤字を迎え決意を新たにしたとき、ある友人から取引先を紹介していただきました。これが思いがけない商いにつながりました。また、別の方からも、取引先を紹介していただき、販路を広げることができました。皆さんには今でも大変お世話になっております。

思えばこの25年の歴史の間に色んな事がありました。数え切れないほどであります。多くの方々と出会いができ、いろんな性格の人と会うことができました。いつも笑顔を見せる人、いつも真面目面をしている人、いつも怖い顔をしている人、様々な人との関係ができました。ざっと650人の方々に大変お世話になってきました。

僅か3日だけしか一緒に働くことができなかった人、10年、15年、20年と、今も一緒に汗を流している方々には、「ありがとう」 の気持ちで心がいっぱいです。

第六章

平成という年号の終焉です。平成の幕開けはバブル経済の中で、空前の好景気でありました。ジャパン・アズ・ナンバーワンの経済大国でありました。しかし、平成に入って3年足らずにしてバブルが崩壊しました。昭和48年12月から続いた安定成長期は終わり、失われた20年と呼ばれる低成長期に入ったのであります。こうした中で、当社は創立以来40年を迎えました。このうち第一章から第五章で25年間の歩みを素直に語り、ご協力いただいた方々に感謝の心で締めています。

以降、10年余りは、2本柱(倉庫業務、請負業務)を背負い、不撓不屈の精神で3本目の柱を築いてきました。この柱は2本柱の倉庫業務に関連しながら輸出梱包品の保管、輸入梱包品の外枠解体、その他部材の保管業務など10年ほど前から大手企業様より取引を頂き、現在は各種部品等の検査業務をお任せいただくことになり、第3の柱に成長してきました。将来展望はまだまだ期待が大きい。

第六章の締めはおめでたい報告であります。平成30年末に新倉庫が完成しました。名神八日市インター近くであります。1,000坪弱の大型倉庫で柱なしの見事な建物であります。10mのヒサシが付いています。倉庫名は「近畿化学工業株式会社名神八日市倉庫」です。次の目標は創立50周年の盛大な記念式典の開催です。社長を先頭にみんな力を合わせて成長していきます。

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